ニアリーイコール読了。

凪良ゆう著『ニアリーイコール』

読了。

 

なんか、ものすごく「自分の心の中にいる、かたくなに膝を抱え続けている小さな自分」を暖かく包んでゆらゆらと揺らしてもらっている気分になった。

自分の抱えている傷をもっともっと大きく抱えている主人公に感情移入し、それが癒やされる過程に没入して自分も一緒に癒やされる、そんな感じ。
 
書店で何も考えずにふと手にとって買ったんだと思うんだけど、買って良かった。
今この表紙をみて思ったのは、「最近こんな感じでデザインされている表紙の本はわりと私は好き」ってことかなー。一穂ミチ『イエスかノーか半分か』 もそんなノリで買ってとても好きだったし。
 
作品の中で「女子高に進学し」みたいなところを読んでいぼんやりと連想したこと。読書の感想とは全然違う内容です。
 

最近、男子校・女子校はだんだん男女共学になっているらしくて、もったいないなぁとよく思う。出来ればそれなりの数、残して欲しいな。

 
私は中学の時に男子生徒にいじめられていたのでわりと男性不信に近い感じになっていて、それは今でも残っているんだけれどもまぁそれは置いておいて、高校選択は女子高一択だった。
で、女子高のなかでちょっとずつ人付き合いとかを思い出して行きながら生活していた。いややっぱ浮いていたみたいだけど。「来月から塾で同じクラスになるんだけど、○○さんってどんなひと?」「んー、廊下にひとりでいるひと」っていうやりとりが交わされていたっていうくらいなので、まぁ。
 
で、その女子高はいわゆる「良妻賢母育成型」の学校ではなく、「社会のなかでリーダーシップをとれる女性を育成する」みたいなことを教育目標に掲げていて、普通に自律して自立できる人間が尊重されていた。まんま体現している年配の女性教師とかいて、基本嫌われていたけど私はすごい尊敬していたなー。
 
まぁそんなのはともかく、そうやって「別に女性は男性に頼らなければならないなんてことはないのよ」みたいな環境で育つことが出来て本当にありがたかったし、そういうことを選択したいこどもだって、今でもいるだろう。
 
性差別である、とかそんなのではなく、そういう選択肢を用意しておく意義ってあるんじゃないかな、っていう。この作品の中で女子高に進学した女性も、そうせざるを得なかったわけだし、その選択肢があったお陰で卒後資格取得をするだけの土台が得られたんだし。
 
選択肢があるって、本当にすごい大切な重要なことなんだ、ということをよく考えて、「じゃぁ男女平等をかなえるにはどうしたらいいかね」と考えて欲しいな、と思う次第。結局、中学とか高校というのは教育機関なわけで、「今の日本では男女平等がきんと出来ていないって言われている! じゃぁ学校も平等(=共学)しましょう!」じゃなくて。「社会にでて平等に生きるために学校で教育しましょう!」ってやっていかないと、結果としての平等社会というのは生まれないんじゃないかな。
で、ある程度社会にそれが広まってから「じゃぁ学校もそろそろ共学ばかりにしてもいいかもね」っていう。目的をかなえる前に手段を用意しないと駄目よ。
 
共学と男女平等は、今はまだ、ノットイコールだと思う。
そのうちに、ニアリーイコールになればいいね。